小さな問いと畑の話

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農業ブログ

小さな問いと畑の話

2025/04/02

感覚、現実、そして農業のこと

自称・野良哲人こと十亀が綴る、小さな問いと畑の話。

 

「もし誰も見ていない森の中で木が倒れたら、それは音を立てたと言えるのか?」

 

これは、

感覚と現実の関係を問う、

有名な哲学的な問いです。


この疑問の背景には、

世紀の哲学者ジョージ・バークリーの

「存在するとは、知覚されることである(Esse est percipi)」

という思想があります。

 

バークリーは、

「私たちが現実と呼ぶものは

、誰かが“見て”いたり、

“聞いて”いたりして、

はじめて存在する」と考えました。

 


つまり、

観察者がいなければ、知覚そのものが成立しない

――そんな世界観です。

 

空気の振動(音波)は起きていたとしても、

それを「音」として認識する耳と意識がなければ、

“音はしなかった”とも言えるのです。

 

一見、

突飛なようですが、

これは私たちの暮らしや農業にも、

深く通じる話ではないでしょうか。

 

 


私たち農家は、

見えないところで、

日々、

種をまき、

土を耕し、

天気と向き合い、

収穫の喜びとともに食卓を想像しています。


でも、

もしそれが誰にも見られなかったら?
誰にも知られず、気づかれなかったら――

 

 

それは“なかったこと”になるのでしょうか?

 

 

いくら手間をかけて美味しい野菜を育てても、

誰にも届かなければ「音」はしていない。
森の木と同じように、静かに倒れているだけかもしれない。

 

だからこそ、

私たちは伝え続けています。

 

写真を撮り、

文章にし、

動画にし、

想いを発信する。

 

それは「音」を届ける行為なんだと思うのです。

 

 


この問いは、

農業だけでなく、

人との関わりにも通じます。

 

誰かの優しさも、

努力も、

思いやりも、
それに気づく人がいなければ

“存在しなかったこと”

になってしまうかもしれない。

 

「観察者の存在」が、

“現実”に形を作るような感じ。

 

だから私たちは、

届ける努力をやめないし、
誰かの“音”に気づける人でもありたいと思っています。

 

 


森の中で倒れた木に、

耳を傾ける人が一人でもいたら、

その「音」は確かに存在します。

 

私たちの営みも同じです。
誰か一人にでも届けば、

それは確かな“存在”になる。

今日もどこかで、

誰にも見られていないけれど、

大切な音が鳴っているかもしれない。

それは土壌の中の微生物たちの声なのかもしれない。
その静かな響きを、

あなたにも届けたくて、
私たちは今日も畑に立っています

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。