あなたが見て感じている現実とは?

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農業ブログ

あなたが見て感じている現実とは?

2025/04/03

誰もが違う景色を見ているとしたら?という話

自称・野良哲人こと十亀が綴る、静かな問いと農の仕事のこと

私たちが見ている現実は、本当に現実と言えるのだろうか?

それは「その人の現実」にすぎないのではないか?

 

人は、

それぞれの体験や記憶、

思想や思い込みのフィルターを通して世界を見ています。

同じ現象を見ても、

その観方や受け方は人によってこんなにも違う。

 

 

そして、

それぞれが生きる現実は、

まるですれ違ったままの世界線のようで、

ほとんどの場合は交わることもない。

 

でも、

このすれ違った世界線のまなざしを、

一瞬だけでも重ね合わせるために、

言葉を使う。

この世界線を語るために、

農の現場に立つ。

 

 


たとえば、

ある朝の雨。

 

私は農業を生業としている一人ですが、

それでもこの雨を「恵みの雨」として迎えることがあります。

土がやわらかくなり、作物が潤う。

今日も野菜が元気になるな、

と心が軽くなる

――いや、まあ、時と場合によりますけどね(笑)。

 

 

でも、

同じ雨を見て、

洗濯物を干そうとしていた人は

「なんてタイミングだ」と嘆くかもしれない。

 

誰かにとっての恵みは、

別の誰かにとっての困りごと。

 


たった一滴の雨粒さえ、

こんなにも違う“現実”をつくっている。

 

だから、

こうして綴っている言葉だって、

きっと読む人によってまったく違う意味を持つ。

それが「現実」のおもしろさでもあり、

むずかしさでもあるのです。

 

 


自分の現実を、

他者の現実に一緒にしないために。

そして、

他者の現実を、

自分の真実にすり替えないために。

 

それでも私は、

自分が見ている景色を、

少しだけ届けてみたいと思うのです。


ひとつの世界線が、

別の世界線とすれ違ったままにならないように

 

―― つまり、

あなたが大切にしている想いや考えが、

少しでも誰かに伝わって、

"ああ、そんなふうに感じていたんだね"

と共感してもらえるように。

 

「現実」は、

人によってまったく違う

“感じ方”の

集まりかもしれません。

 

 

虫がついた葉っぱを見て

「これは失敗だ」

と感じる人もいれば、

「自然に育った証拠」

と安心する人もいます。

 

同じものを見ても、

そこに映る意味は人それぞれ。

 

私は、

それをどうこう判断するのではなく、

ただ見たこと、

感じたことを、

静かに言葉にしています。

 

誰かに届けようとするよりも、

自分が見たものをそっと差し出すような気持ちです。

 

共感があってもなくても、

それはそれでいい。

 

今日も、

そんなふうにして土の上に立っています。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。