【第3回 “儲かるかどうか”の外にある、農家の幸福軸】

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農業ブログ

【第3回 “儲かるかどうか”の外にある、農家の幸福軸】

2025/03/25

農業のことを語るとき、「農業って儲かるんですか?」という質問をよく受ける。

確かに、この問いはごく自然だと思う。どんな職業であれ、それが生活の糧である以上、経済的な基盤は大切だ。収支が赤字続きでは、どんなに理念が立派でも続けていけない。経営は冷静でなければならないし、現実的な視点から利益を追求する姿勢も、農家にとって必要不可欠だ。

もちろん、生業として農業をしている以上、収益は大切だ。赤字を垂れ流しながら「自然とともに」とか「やりがいがあればいい」と言っていられるほど、現実は甘くない。利益が出なければ人も雇えず、設備も更新できない。儲かることは、農業を持続させるための大前提だ。

しかし、「儲かるかどうか」という視点は、あまりにも短期的で表面的なものに感じることもある。農業は一年単位で物事が動く。種をまいてから収穫するまで、そしてそれを販売し、収入を得て、次の準備に回すまでには、長い時間がかかる。

一年が天候に左右されるのはもちろん、数年単位で見ると市場の流れや地域の環境の変化、労働力の確保といった複雑な要素が絡み合ってくる。

だから、利益だけを物差しにすると、「今年は良かった」「今年はダメだった」の繰り返しに一喜一憂して、農業の本質を見失ってしまう。

だが、それだけでは語りきれない“幸福の軸”が、農家にはある。


 

ある年、白ネギの価格が大暴落した。 出荷しても手取りがケース数百円という、努力と対価が釣り合わないような状況だった。あまりの価格に腹も立ったし、「なぜこんな目に遭わなければならないのか」と悲しくもなった。

だが、その年、うちの畑で育った白ネギを食べた息子が「こんなに甘くてみずみずしいネギ、初めて食べた」と目を輝かせて言ってくれた。

このとき、胸の奥がじんわりと温かくなった。 それは売上や利益とは別の場所にある「手応え」だった。


 

農業の幸福は、経済的な指標だけでは測れない。 むしろ、そこからはみ出したところに、農家としての“多幸感”が潜んでいる。

・気候に合った作型を自分で組み立てて、計画通りに収穫できたときの高揚感。

・新しく雇ったスタッフが仕事を覚え、自信を持って動いてくれるようになったときの誇らしさ。

・子どもたちが畑に遊びに来て、土を触ってはしゃぐ姿を見たときの静かな感動。

・収穫した作物を自宅で料理し、家族が「おいしい!」と笑ってくれたときの安心感。

・天候に恵まれなかった年でも、最善を尽くして乗り切れたという実感が残るときの達成感。

こうした「経済とは別の次元で訪れる幸せ」は、確実に私たちの中に蓄積されていく。目に見える成果は限られていても、心の中に積もっていく満足感や誇りこそが、農業を続ける力の源になっている。

だからこそ、単年の利益に一喜一憂せず、もっと長いスパンで、自分の農業を育てていく視点が大切になる。たとえ収支が厳しくても、「今日も一歩前に進めた」と思える日々を重ねること。それが、農家としての生き方そのものを豊かにしていく。


 

農業は「儲かるか・儲からないか」だけで測ってしまうと、つらくなる場面が多すぎる。天候や市場に左右されるという構造的な不安定さがあるからこそ、収益だけを軸にしてしまうと、心がすり減ってしまうのだ。

だが、「どうすればこの土地で、この作物を活かしながら、人の役に立てるか」という視点を持つと、世界は少し違って見えてくる。

それは自己実現であり、地域との関係性であり、土との対話でもある。 自分の暮らし方、働き方、家族との時間──すべてが一つの営みとしてつながっていく農業という生き方の中で、徐々に見えてくるものがある。

そうした多層的な営みのなかで、少しずつ見えてくる“幸福の軸”こそが、農家にしか得られない多幸感の正体ではないかと思っている。


 

次回は、「“孤独”と“つながり”──農業の中にある両極の感情」について考えてみたい。 一人で畑に立つ時間と、誰かと収穫を分かち合う時間。そのあいだに揺れる感情に、農家としての実感がにじんでいる。

(第4回へつづく)