【第4回 “孤独”と“つながり”──経営者としての重さと静けさ】

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農業ブログ

【第4回 “孤独”と“つながり”──経営者としての責任の重さと静けさ】

2025/03/26

経営者としての立場で考えると、常に“孤独”が背中にまとわりつく。

朝、誰よりも早く目を覚まし、今日一日の天気を予測しながら段取りを決める。スタッフの出勤時間までに畑を回り、作物の育ち具合や圃場のコンディションを確認し、作業の優先順位を頭の中で組み立てる。誰かに相談できる時間はない。決断のスピードが、経営の命運を分ける。

失敗しても、それは「自分の判断ミス」だとすぐにわかる。誰のせいにもできないし、する気もない。でも、その現実がずしりと心にのしかかってくる朝もある。


 

経営者としての孤独は、判断において最も明確になる。

スタッフがミスをしても、「なぜその判断に至ったか」「どんな指示を自分が出していたか」を問うのは自分自身。家族や従業員を守る立場でありながら、正解のない判断を日々積み重ねていく。その中で感じる「誰も自分の代わりにはなれない」という緊張感は、想像以上に深く、時に苦しい。

資金繰り、雇用、販路開拓、機械の更新計画、補助金申請……。 やるべきことは無数にある。しかもそのすべてが「判断を間違えると明日の経営に響く」類のものだ。

そんな日々のなかで、たとえば夕方ふと空を見上げるとき、言葉にできない孤独を感じることがある。


だが、その孤独は「悪いもの」ではないと、最近思うようになった。

孤独だからこそ、自分の感覚に耳を澄ませるようになる。 他人の評価ではなく、自分の中の「納得できるかどうか」で物事を判断するようになる。 その静けさの中で、経営者としての覚悟や信念が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。

孤独は、時に心を締めつける。 けれど、それは「何のためにこの仕事をしているのか?」という問いを、絶えず自分に投げかけ続けてくれる存在でもある。


 

そして、そんな孤独の中にあってこそ、人との“つながり”がより鮮明に、ありがたいものとして浮かび上がってくる。

スタッフとの何気ないやりとり。収穫のあとに飲む一杯のお茶。 「うちのネギは、やっぱりうまいよな」と笑いながら言ってくれる従業員の言葉。

あるいは、近所の農家仲間と交わす短い情報交換や、同業者からのちょっとした助言。 そういう瞬間が、経営者として張りつめていた心を、ふっと解いてくれることがある。

家族との会話も同じだ。 「お父さん、今日はどうだった?」 そう聞かれて、「うーん、まあまあかな」と答えるだけでも、心のどこかが安らぐ。


 

経営者という立場は、基本的に「最後は一人で決める」ことの連続だ。 誰にも甘えられない。背中を預けられる人がいない日もある。

だけど、それでもこの仕事を選んでよかったと思えるのは、 その孤独の中に、自分だけの確かな誇りと感覚が育っていくからだ。

農業という世界における「孤独」と「つながり」は、 単に“一人で働く時間”と“誰かと一緒にいる時間”という話ではなく、 「誰にも委ねられない責任」と「誰かに救われる瞬間」の両方を抱えた、 経営者としての人生そのものなのかもしれない。


 

次回は、「“効率”と“無駄”──生産性では測れない価値」について考えてみたい。 合理化が進む一方で、農業には“あえて非効率”な場面がいくつもある。その“無駄”の中に宿るものを見つめてみたい。

(第5回へつづく)