サッカーと農業は親和性がある

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農業ブログ

Jリーガーのセカンドキャリア

2022/12/10

Jリーガーのセカンドキャリアと農業

こんにちは。後藤です。

日本のカタールワールドカップが終わって

しまいました。

楽しみが一つ減ってしまいました。

最後は120分の激闘の末、PK戦で散る

という残酷な結末でしたが

これもサッカーです。

勝負の世界なので勝ち負けは

ついてしまいます。

選手たちの4年間のたゆまぬ努力が

ここまでの戦いを生み、日本国民に

感動を与えてくれました。

夢のような2週間を

ありがとうございました。_(._.)_

 

2,3日経ち悔しさも落ち着いてきた

ところで、私にも何かできないかと

考えてみました。

 

テーマは

華々しく活躍するスター選手に隠れ

活躍できずに引退していくJリーガーの

【セカンドキャリアと農業】

についてです。

私のサッカー歴

「お前にサッカーの何がわかるんだよ」

と思ってる方もいらっしゃると思います

ので、まずは私のサッカーの経歴を

お話させてください。

 

幼少期にキャプテン翼に憧れ、世界で

活躍するプロサッカー選手になることを

夢見たサッカー少年でした。

物心つく頃には近所のお兄さんたちに

混ぜてもらって真っ暗で見えなくなっても

ボールを追いかけているような

サッカー少年でした。

 

正式には小学校3年生から

サッカー少年団に所属し大学1年までの

11年間、プロサッカー選手になることを

夢見て、人生をかけてサッカーに

取り組んだ経験があります。

 

今の私のビールっ腹を見たら

誰も信じてくれないと思いますが

当時は、お腹は6つに割れるほど

バッキバキな肉体をしておりました。

 

中学生の時に埼玉選抜そして関東選抜

へと選ばれ、高校は当時は埼玉県内では

無敵を誇る強豪校へ入学しました。

部員が150名位いたでしょうか。

自分の技術に自信のあるつわものたちが

集まるような高校です。

 

ちょうど私が高校入学の年にJリーグが

始まったと記憶しております。

当時はあくまでもプロになるという

明確な目標をもってサッカーを

しておりました。

そして高校生の憧れの舞台である

冬の選手権大会で活躍することで

プロになれると思っておりました。

 

しかし私が3年生の時には県予選で

敗退し、選手権大会の連続出場記録を

止めてしまいました。

この時、「俺の人生は終わった」

みたいな顔をしていたと思います。

 

その後プロになることはかないません

でした。

 

その半年ほど前には

世界基準を体感し自分の現在地を知る

機会がありました。

上には上がいるのです。

 

3年生の春。新潟で

サンパウロFC(ユース)と試合をする

機会があり、ブラジル人の技術を体感し

これは敵わないなと感じたのを

はっきり覚えております。

 

試合結果は1対1の同点からPK戦で

先行の1番手である私が外し、その後

私以外の全員が決めて負けるという

苦い経験をしております。

僅差で敗れたわけですが、試合内容は

大人と子供の戦いぐらい差が

あったように思います。

 

当時のサンパウロFCといえば

1992年から1993年にかけて

コパ・リベルタドーレス杯及び

トヨタカップをともに連覇し主力メンバー

には、カフー、ザーゴ、ピンタード

ライー、ミューレルなどのスター選手を

そろえた世界有数のクラブチームです。

 

その下部組織とはいえ、世界の力を

体感したことにより、残りのサッカー

人生をかけて努力しても追いつくことは

不可能なくらいの差があると

この時気づいてしまいました。

そして目標を失ったまま大学でも

サッカーを続けましたが、燃え尽きて

しまい、途中でサッカーをすることが

楽しくなくなり次第に練習から

遠ざかり退部に至りました。​​​​​

 

現在はウィスキーを片手にサッカーを

見るのが趣味です。

 

 

プロの厳しさ

華やかさの裏で起きている現実

高校はやはり強豪校でしたので、

先輩、後輩、同期にもプロになった人も

多数おり、レッズのサテライトチームと

練習試合をしたりとプロになることが

割と近い目標に思えるような環境で

サッカーをさせていただきました。

 

先輩で、10年以上プロで活躍された

方もおりましたが、そういった活躍が

出来る方は一握りでしょう。

 

2年で芽が出ず契約満了で退団された

方もたくさん知っております。

 

結果的に高卒で無職になってしまうのです。

 

現在ではJリーグはJ3まで含めると

58チームあり、昔に比べプロへの

門戸は広がっていると言えるでしょう。

ですがJリーガーの平均引退年齢は

25歳から26歳だそうです。

社会で言えば若手です。

農業で言えば赤子です。

 

一見華やかに見える世界ではありますが

実力社会なので力がない者は

再契約を勝ち取れないのです。

 

やはり一生サッカー関連で生計を立てる

のは厳しいのではないでしょうか?

引退後の生活

引退後にサッカー関連の仕事で生計を

立てれる方は、ほんの一握りでしょう。

1番わかりやすいのはプロの指導者に

なることでしょうが、コーチや監督業で

生計を立てることはJリーガーになること

以上に狭き門です。

 

Jリーグ選手会がJリーガーを対象に行った

アンケートでは、8割のJリーガーが

引退後の生活について不安を持っており

Jリーガーとして登録している

サッカー選手のうち、年間18%の

Jリーガーが戦力外通告を受けています。

 

引退後に、うつ病など精神障害になる

選手が40%程、アルコール依存症になる

選手が30%程いると何かの記事で

見たことがあります。

これが本当なら衝撃的です。

 

私はプロになったことがないので

ここからは想像ですが、25歳くらいで

突然、サッカー人生が終わりを迎えた

場合、サッカーに代わる目標をすぐに

見つけることは困難であり、プライドの

高いJリーガーが普通の会社勤めを

することは難しいのではないでしょうか?

 

私は子供のころから、サラリーマンに

だけはならないとよく言っていましたが

サラリーマンを経験した今だからこそ

言えますが、サラリーマンも大変です。

 

サラリーマン一筋で私たち家族を養って

くれた父親には今でも感謝しております。

 

そして私もサッカーをあきらめた後、

人生をかけて熱中していたものが無くなり

自分の行く道が定まらず右往左往し

転職も何度か経験しましたし、悩み

苦しんだ時期を経て天職である農業に

辿りつき今があります。

 

Jリーグでは2002年に

「セカンドキャリアサポートセンター」を

設立して、引退後のサッカー選手の

セカンドキャリアのサポートを開始。

 

2013年4月からは管理統括本部

企画部内に

「人材教育・キャリアデザインチーム」

ができています。

しかし、現実的には引退したJリーガーの

セカンドキャリア支援はできているのか?

気になるところではあります。

 

 

 

サッカーと農業は親和性がある

元ジュビロの高原さんや

FC東京の石川さんなど有名な方は

メディアでもその後が報じられているので

ご存じの方も多いと思いますが

農業に携わっておられます。

 

高原さんは沖縄でサッカークラブを

経営する傍ら、コーヒー農園を

経営されています。

 

石川さんは長野県で農業に携わり

トウモロコシを栽培しておられます。

 

私は農業とJリーガー(アスリート)は

親和性があると考えております。

 

農業は自然を相手にする仕事で

目まぐるしく状況が変化します。

気温や湿度、日照時間、大雨や風害

病害に虫害など目まぐるしく変わる

環境に限りある選択肢の中で

対応しなければなりません。

 

同じ状況は2度ないのです。

 

サッカーもそれに似ています。

その日の温度、湿度、風向きや風量

に加え、戦術やシステム変更など走り

ながら考えなければなりません。

全く同じシチュエーションは

2度ありません。

 

そして一切の言い訳が効かず、

もちろんプロセスが大事なのは

当然ですが、一年一年結果を出さなければ

自分がいくら望んでも継続できないのです。

 

そして逆境に向かっていく強い精神力

と最後まであきらめない強い心

そして冷静な判断力、決断力を

必要とします。

 

Jリーガーになる過程で数々の逆境を

乗り越えているはずで、どんな逆境にも

あきらめない強い心、自分と向き合う力

が自然と備わっているはずです。

そういった面からJリーガーの

セカンドキャリアの選択肢の一つとして

農業を入れてもらえたら

一農業人としてはうれしく思います。

最後に

私が

「世界で活躍するプロサッカー選手になる」

という夢が叶わないことを知った時

こう思いました。

 

「サッカーしか知らない自分に

         何ができるのか?」

 

きっと同じことを思うJリーガーの方も

いらっしゃるのではないでしょうか?

 

しかしある程度、社会経験をを積んだ

今だから言えることは

 

「サッカーの中に社会の荒波を

   乗り越えていくノウハウが

       すべて詰まっている」

 

という事です。

 

来る日も来る日も厳しい練習に耐え

妥協せずに自分と向き合い技術を

高めるために努力を続けた結果

Jリーガーになったはずです。

 

Jリーガーがセカンドキャリアとして

農業を選べる仕組みが何かあれば

いいのになぁと漠然と思っております。

 

そしてサッカーに青春を捧げた者として

悩めるJリーガーの力になれる日が来る

事を願い、私は農業に人生を捧げ

これからも頑張っていく

所存でございます。

 

残念ながら私にはJリーガーとつながる

術がございません。

 

私に何かお知恵をご教示いただける方が

おられましたら是非ご連絡ください。

 

それでは長々と失礼いたしました。

 

最後にクロアチアがんばれっ!!

モドリッチがんばれっ!!!