トランプ相互関税の衝撃、日本農業への影響

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農業ブログ

トランプ相互関税の衝撃、日本農業への影響

2025/04/09

本日、アメリカの相互関税がスタート

変わりゆく国際情勢と、うちの畑の未来

最近、アメリカが打ち出した「相互関税」政策のニュースを見て、最初は「うちは白葱とさつまいもだから、直接は関係ないだろう」と思っていました。直接、海外輸出をしているわけでもないし、どちらかというと地域に根差した国内販売が中心。そんなに影響はないんじゃないかと、楽観的に考えていたんです。

でも、よくよく考えてみると、輸出農家じゃなくても関係ないとは言い切れない。問題は“直接的な打撃”よりも、日本経済がじわじわと縮んでいくことによる“間接的な影響”なんじゃないか?という思いが日に日に強くなっています。

 

経済がシュリンクすると、野菜の価値も下がるのでは?

経済って不思議なもので、数字や株価がどうこうって話に見えて、農業の現場にじわじわと効いてくるんですよね。

企業の業績が悪くなれば、ボーナスが減る。ボーナスが減れば、家庭の財布のヒモが固くなる。そうなると、スーパーでは「少しでも安い野菜」を選ぶ人が増えてきます。

たとえ私たちがどれだけ手間をかけて、安心・安全で、味にこだわった野菜を作っても、消費者が“良いもの”を選ぶ余裕をなくしてしまえば、それは“売れないもの”になってしまう。 しかもその傾向は、少しずつ、静かに、でも確実に広がっていく。

さらに外食産業も冷え込む。飲食店が客足の減少に苦しめば、仕入れる野菜の量も、質も見直されていく。 業者にとって「いい野菜を仕入れる」ことよりも、「とにかく安く手に入る」ことが優先されるようになっていく。 すると、市場では価格がどんどん押し下げられ、こだわりを持って作っている野菜が“割に合わない”ものになっていく。

そしてこれは、単に「野菜の値段が下がる」という話ではありません。 野菜が安くなるというのはつまり、私たちがその野菜に込めた労力や時間、思いが“値引き”されていくことなんです。 誰もが苦しいときに「贅沢はできない」と思うのは当然です。でも、農家が苦しいときも「これ以上コストを削れない」んです。

だから私は、今の状況に本気で危機感を持っています。 関税うんぬんの直接的な話よりも、日本全体の経済がじわじわと痩せていくことのほうが、農業にはよほど大きな打撃になると思っています。

 

今、備えるべきことは何か

私たち農家は、天気だけじゃなく、経済の気配にも敏感でいなければならない時代になりました。昔は天気予報と市場価格さえ気にしていればある程度回っていた仕事が、今では国際情勢や為替動向、さらには金融政策まで視野に入れておかないと、気づいたときには大きな損失につながってしまう——そんな不安定な時代です。

世界のどこかで戦争が起きれば、肥料の値段が上がる。実際、数年前のウクライナ情勢の影響で、輸入肥料が高騰し、経費が跳ね上がりました。為替が揺れれば、ビニールや燃料の仕入れコストが変わる。円安の進行で資材価格が上がったときは、毎月の請求書を見てため息が出ました。そして、政治家が一言関税の話をすれば、消費者の財布の紐が固くなる。その影響が巡り巡って、飲食店や小売業者の発注量に響いてくる。

そういった一つひとつの変化が、じわじわと農業を圧迫していく中で、「変わらず良いものを作り続ける」だけでは、もう農業は守れないのだと感じます。技術や情熱だけでは乗り越えられない壁が、確実に増えてきている。

今、必要なのは、「作る」と「売る」の両方にちゃんと向き合うことなんだと、私は思います。どれだけ誠実に育てても、届ける手段や届け先の選択を誤れば、それは誰にも知られず消えてしまう。農業は「作る」で完結しない。むしろ、「売る」ことの中にこそ、農業の持続性がかかっているのではないかと、今ではそう思うようになりました。

 

私はこれまで、販路を分散させることに力を注いできた

市場出荷に頼らずに農業を続けるには、やっぱり売り先を分散しておくことが何よりのリスク対策になる——これは、自分自身の経験から確信を持って言えることです。

最初は、農家仲間の紹介で始まった取引からスタートしました。そこから少しずつ、契約栽培、産直サイトの活用など、販路を一つずつ増やしていきました。 今では、ホームページ経由でお問い合わせをいただくことも増えて、こちらから売り込まずとも、買い手が「見つけてくれる」状況ができつつあります。

最初からうまくいったわけじゃありません。相手とのやり取りの中で信頼関係を築き、時には価格の折り合いや納品ロットで悩んだりしながら、それでも諦めずに丁寧に応えていった。その積み重ねが今につながっています。

なぜこんなふうに販路を広げてきたかと言えば、やっぱり「ひとつの出口」にすべてを預けるのが怖かったからです。

市場価格が暴落したときも、取引先が急に仕入れを止めたときも、「ああ、分散しておいてよかった」と何度も思いました。 そして今回のように、日本経済全体が揺れる局面では、特にこの“多チャンネルの出口”が命綱になる。

実際に過去、取引先の一つが突然倒産して、売掛金の回収ができなかったことがありました。いくら信頼関係を築いていても、相手の経営状況までは読めません。あのときの損失は金額以上に精神的にこたえました。だからこそ、どんなに手間でも出口は複数持っておく——それが事業として農業を続けていく上での最低限の備えだと痛感しています。

不安定な時代だからこそ、自分の作った作物が「必要とされる場所」をたくさん持っておく。これは今後の農業において、きっと欠かせない考え方になるはずです。

 

顔が見える販路のあたたかさ

販路を分散していく中で、気がついたことがあります。それは、直接つながるお客さんとのやり取りは、単なる取引以上のものをくれるということ。

ネット経由で注文してくれる個人のお客さんからは、「去年のネギが忘れられなくて、今年もお願いしたくて」なんてコメントが届いたりします。私たちが作った作物を購入していただいたお客様それぞれのストーリーが見え価格以上の価値をいただいたりもします。

そんなとき、私は思うんです。

この人たちは、野菜を「モノ」としてじゃなく、「我々が育てた命」として受け取ってくれているんだなって。

市場出荷だけに頼っていた頃は、段ボールに詰めてしまえばどこに届くかもわからなかったし、誰が食べてくれるのかなんて考える余裕もなかった。でも今は、ちゃんと顔が見える関係の中で、「想いのこもった農業」が報われる場所が増えていると感じています。

それが、経済が不安定な中でも、農業を続けていく上での精神的な支えになっているんです。

 

売上のため以上に、誇りのために

もちろん、販路を増やすのは手間がかかります。荷姿を変えたり、規格を調整したり、やりとりに時間をかけたり——非効率だと感じることもある。納品ごとにロットやパッケージを変える必要があることもあり、日々の作業の中で頭を悩ませる場面も少なくありません。

でも、その手間の先にあるのは、価格じゃない“価値”で野菜を見てもらえる世界なんです。誰が作ったのか、どんな土で育ったのか、どんな想いが込められているのか——そういう背景ごと届けられる場所があるということ。それが、今の時代の農業にとって本当に大きな意味を持っていると思います。

どんなに経済が縮んでも、「この野菜じゃなきゃダメなんです」と言ってくれる人が一人でもいれば、農家は前を向ける。その言葉があるだけで、次の一手を考える力になるし、厳しい現実の中であっても「もう少し頑張ろう」と思える。

それは売上の問題じゃなく、自分がやってきた農業への誇りの話です。人として、暮らしをつくる営みの中で、誰かに必要とされること。農家にとってそれは何よりの報酬であり、希望そのものです。

そういう関係性を少しずつ築けたことが、私にとっては何より大きな収穫でした。販路は「売り先」ではなく、「つながり先」でもある。経済がどう動こうと、そのつながりがある限り、農業はもっと強くなれると信じています。

 

伝える力を持たなければならない

いま、私たち農家にとって最も大切な武器のひとつは、「育てる力」だけでなく、「伝える力」だと、心の底から思っています。

ただ黙々といい作物を作っていれば、それが誰かの手に渡り、評価される時代はもう終わった。 むしろ今は、作り手がどんな想いで、どんな工夫で育てているかを自分の言葉で伝えていかないと、誰の記憶にも残らない。 どんなに美味しい白ネギでも、棚に並んだ無数の野菜のひとつとして埋もれてしまえば、それまでです。

情報があふれている時代だからこそ、静かに黙っているだけでは届かない。 野菜の良さや作り手の想いが、声を持たなければ、他の選択肢に埋もれていくだけ。 伝える努力をしてはじめて、その価値は立ち上がってくるのだと思います。

だから私は、眠い目をこすって、こうして文章を書いています。 畑で起きていること、作物の変化、気候への対応、そして経済の揺らぎの中で感じたことを、伝えようとしている。

それは「誰かに知ってもらいたい」からというよりも、 「野菜の価値を、ちゃんと受け取ってくれる人と出会いたい」から。 単に売れるかどうかではなく、自分の仕事を丁寧に受け止めてくれる人とつながること。 その出会いこそが、農業を続けていくうえでの希望になると思うのです。

伝えるというのは、つまり“橋をかける”ことです。

 

作物と人の間に。

農家と食卓の間に。

地域と社会の間に。

 

ときには「農業って大変だね」とか「知らなかった」と言われるだけでも意味がある。 その一言のやり取りの中に、次につながるヒントや支えが含まれていることもあります。

これからもっと経済が厳しくなるかもしれない。 でも、言葉と想いを重ねて、ちゃんと繋がっていけるなら、農業はきっと、やり方を変えてでも生き残っていける。 そのために、私たちは畑だけでなく、言葉も耕していく時代にいるのだと思います。

これからも作り続けます。 そして、伝え続けます。 この土と、この空と、この野菜と、そしてここに生きる我々の声を、誰かの暮らしの中へ届けるために。 もし誰かの記憶に残る言葉になれたら、それもまた、ひとつの“収穫”なのかもしれない。


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