ワークライフバランスを捨てる”という言葉に思うこと
2025/10/05
高市新総裁就任演説を見て
昨日の高市早苗さんの総裁就任演説を、私はライブで見ていた。率直に言えば、久しぶりに「この人なら日本を託せるかもしれない」と感じた。
本気の言葉は、時に誤解される
ライブで見ていた人なら分かると思う。あの「ワークライフバランスを捨てる」という言葉は、“家庭を犠牲にして働け”という意味では決してなかった。
あの瞬間、高市さんは「これからの日本を立て直すためには、政治家一人ひとりが生半可な気持ちでは務まらない」と言っていた。つまり、“総理大臣としての覚悟”を示しただけの話だ。
政治家は批判もされるし、誤解もされる。だが、彼女の言葉は、軽い人気取りではなく「国のために人生を賭ける」という決意の発露だった。それを、仕事と生活の調和を軽視した発言だと断じるのは、あまりにも浅い。むしろ、責任を伴う立場に立つ人間が、安易に“ワークライフバランス”という言葉を掲げてはいけない場面もある。リーダーとは、時に自分の時間を犠牲にしてでも、国の舵を取らねばならない存在だからだ。
「やってやる」という気概
あの演説には、明らかに今までの総裁たちにはなかった緊張感と気迫があった。言葉に魂が宿っていた。おそらく本人も、「自分がやらなければ」という危機感に突き動かされていたのだと思う。
前々総裁、そして前総裁と比べて、高市さんには“現実を直視する覚悟”がある。理想論ではなく、国の厳しい現状を見据え、そのうえでどう変えていくかを語っていた。それは決して派手な言葉ではないが、どこか懐かしい“責任を引き受ける政治家”の姿だった。
私が印象的だと感じたのは、選ばれた瞬間、喜びや安堵ではなく、まるで「これからが本当の戦いだ」と自分に言い聞かせているような表情をしていた。あの顔つきを見て、私は確信した。この人は、自分のためではなく“国のために生きようとしている人”だと。
オールドメディアのネガティブな切り取り
しかし、その翌日から始まった報道の多くは、演説の本質を伝えていなかった。
残念でならない。
“ワークライフバランスを否定する時代錯誤な総裁”という構図を作り上げようと、SNSでは切り取られた動画が拡散されていた。まるで、「女性なのに強気な発言をする政治家」を、叩くための材料にしているようにも見えた。
なぜ日本のメディアは、挑戦する政治家をここまで敵視するのか。言葉の一部を切り取って炎上させ、印象を作り上げる。政治を「ショー」にして視聴率を取る構造が、まだ続いている。だが、そうした報道が積み重なるたびに、真面目に政治に向き合う人が損をし、結果として「誰も挑戦しない国」になっていく。
挑戦する人を支えるよりも、粗探しをして叩く方が楽な社会であってはならない。そこにこそ、政治の停滞の根がある。
稀有な人材を、支える国民でありたい
高市さんが完璧だとは思わない。政策の中には賛否ある部分もあるし、実現の難しい理想もある。だが、少なくとも彼女は「日本をどうしたいか」を自分の言葉で語れる政治家だ。そしてその語り口には、政治の“職業臭”がない。
心からこの国を良くしたいという思いが伝わってくる。
自民党の中で、ここまで“責任を引き受ける覚悟”を見せられる人材は稀有だ。
派閥のバランスや選挙戦略ばかりが優先される中で、真正面から「日本を立て直す」と言い切った彼女の姿勢は、久しく見なかった清々しさがあった。
批判に負けず、前を向いてほしい
政治家に求められるのは、人気ではなく、決断力だ。その決断の裏には、必ず犠牲がある。誰かに好かれようとすれば、誰かの期待を裏切ることになる。それでも前に進もうとする人を、私は応援したい。
高市総裁の言葉を聞いて、私は「覚悟とは、他人に理解されなくても貫くものだ」と改めて感じた。どんなにメディアが揚げ足を取っても、信念があれば必ず伝わる。
むしろ、真剣な人ほど誤解される。だからこそ、国民一人ひとりが、自分の目と耳で判断しなければならない。
終わりに:希望は、まだここにある
この国を背負うという言葉の重み。それを真正面から語れる政治家が現れたという事実だけで、私は少し希望を感じている。これまでの政治を見て失望の繰り返しだと思っていたが、まだ信じられる人がいる。
だからこそ、今度こそ私たち国民も試されている。
本気の政治家を支えられる国民でいられるか。批判に流されず、自分の頭で考え、声を上げられるか。
「ワークライフバランスを捨てる」という言葉の裏には、“甘えを捨て、立ち向かう覚悟”があった。それを理解せずに叩くのは簡単だ。だが、彼女のように責任を背負う覚悟を持つ人間が一人でも増えれば、この国は変われる。
私はそう信じたい。
そして願う、高市早苗という政治家が、この閉塞した日本の空気を切り開く礎になることを。