その“代行”は、ほんとうにあなたを救っているか?
2025/04/15
君の矜持は、どこにある?
退職代行のニュースが話題になるたびに、モヤモヤする。
こんな時期なので仕方ないが、いやでも聞こえてくるニュース。
なので書くことにした。
以前のブログ(4月9日)にも書いたけど、退職代行という仕組みそのものを完全に否定するつもりはない。
命を守る最後の手段になる場面も、確かにある。
でも、どうしてもひっかかってしまうのは――
「辞めるハードル」を極端に下げてしまっている社会の空気感だ。
LINE一本で辞められる時代
今の若い人たちの中には、「退職はLINE一本で済む」と思ってる人もいる。
ネットには「即日退職OK」「もう会社に行かなくていい」「上司とのやりとりも全部お任せ」なんて広告が溢れてる。
もちろん、心が限界にきている人にとっては救いになるだろう。それは否定しない。
でも、それを“普通の選択肢”として社会全体が認め始めていないか?
あまりに気軽に、あまりに簡単に、辞めるという決断が促されてはいないか?
辞めるハードルが低いと何が起きるか
辞めること自体が悪いとは思わない。
でも、辞めるというのは人生における大きな決断であり節目だ。
そこには、悩み、苦しみ、向き合う時間が必要なはずだ。
辞めづらさには意味がある。
-
辞めたいけどどう切り出すか悩む
-
上司との関係がうまくいってなかった
-
自分の選択が誰かに影響するかもしれない
その“しんどさ”と向き合うことこそが、人を成長させる。
そこを乗り越えて、自分の言葉で伝える力、自分で決断する力、人と一緒に生きる力が育っていく。
だけど、そこをすっ飛ばして「はい、辞めさせておきました」って社会になってしまったら、
筋を通す覚悟も、乗り越える力も、未来へのモチベーションも、何も育たない。
自分のケツは、自分で拭け
私は、「自分のケツを自分で拭けない人間を量産するような事業」に魅力を感じない。
人生にはうまくいかないことだってある。人間関係に悩むこともある。
でも、そういうときこそ、自分で考え、自分で決めて、自分の言葉で動く。
もし本当に辞めたい理由があるなら、それに向き合うだけのエネルギーを持つべきだ。
誰かに任せるんじゃなく、自分で筋を通して、ちゃんとケリをつける。
それが最低限の礼儀であり、自分への責任でもある。
たとえば、「離婚代行」があったとしたら?
例えば結婚していたとして、夫婦喧嘩の末「言いにくいから」「顔を合わせたくないから」と、
第三者に離婚届の提出や手続きを頼む――そんなサービスがあったとしたらどう思う?
俺は正直、違和感しかない。
結婚というのは、自分の意思で始めた関係だ。
終わりを迎えるときも、自分の言葉で相手に向き合って筋を通すべきだと思う。
退職も同じだ。
「ここで働きます」と自分で決めたのなら、どんなにしんどくても、「やめます」と伝えるのは自分の役目。
それを人任せにするのは、自分の人生のページを他人にめくらせているようなものだ。
そのとき、電話をかけてきたのは“親”だった
実際、後藤農園でもあった。
若い従業員が突然、仕事に来なくなった。連絡もない。電話しても出ない。
事故か病気か、心配しながら数日が過ぎ、ようやく電話が鳴った。
電話口は……親だった。
「本人は出られないので、本日付けでやめさせてください」
……絶句した。情けないにもほどがある。
20代半ばの大人が、自分の退職すら自分の口で言えない。
理由がなんであれ、問題はそこじゃない。
自分の人生の節目すら、自分で締められないことが問題なんだ。
これが今の社会か?
こんな若者を量産している社会に、未来はあるのか?
どうかしてるよ、本当に。
儲かれば何でもいいのか?
人としての矜持を、最後まで捨てるな
人としての矜持は、どこに行った?
辞めるときくらい、自分の足で立って、自分の言葉で伝えて、自分の責任で終わらせろ。
「言いにくいから代行に頼む」「怖いから親に言ってもらう」――そんな生き方で、
次の職場でうまくやっていけるわけがない。
そしてまた同じように逃げるのか?
社会は、そんなに甘くない。
信頼される人間は、「辞めます」を自分の口で言える人間だ。
たとえ失敗しても、ぶつかっても、最後に「ありがとうございました」と自分で言える人間だ。
逃げてもいい。
でも、逃げるなら自分で逃げろ。自分で向き合って、自分で去れ。
それが、人としての最低限の“矜持”だ。
「逃げ道」じゃなく「道」をつくれ。
それが、本当の意味で社会課題を解決する事業じゃないか。
そしてこのブログが、今まさに迷っている誰かに届くことを、心から願っている。
関連記事