エッセンシャル思考で見えてくる、本当に大事なこと
2025/05/16
「何でもやらなきゃ」「断れない」「とりあえず試してみる」 就農してしばらくは、そんな日々の連続だった。
でも気づいたら、疲れ果てていた。 時間は足りない、家族との時間もない、利益も思ったほど出ていない。
その原因は、「あれもこれもやらなきゃ」と思い込んでいた自分の思考にあった。
今回は、グレッグ・マキューン著『エッセンシャル思考』の考え方をもとに、農業において「本当に大事なことだけに集中する」ためのヒントを綴ってみたい。
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無限に入る器はない
農業には「無限の選択肢」がある。 どの作物を育てるか、販売はどうするか、どの資材を使うか、人を雇うかどうか、補助金を使うか──。 そのすべてを自分で決めなきゃいけない。 選択肢が多いということは、それだけ自由度があるということでもあるが、裏を返せば「選ばなければならない負担」もついてくる。
でも、農業者の時間と体力と集中力は、限られている。 何かを入れたら、必ず何かが押し出される。 しかもその“何か”は、自分が意図していなくても勝手に押し出されてしまうことが多い。
たとえば、「新しい作物に挑戦したい」と思ったとする。 品目の多様化は確かに魅力的に映る。 「販路が広がるかもしれない」「お客さんの反応が良かったら定番化できるかも」といった希望が浮かぶだろう。
でもそれに手を出せば、管理は増え、手間も増え、既存の作物の品質が落ちるかもしれない。 播種や定植、収穫の時期が重なれば作業のピークが膨らみ、従業員の疲労やミスも増える。
それでも「やってみなきゃわからないから」「誰かに頼まれたから」「面白そうだったから」と始めてしまう──。 最初の動機は悪くない。 でも、準備が甘かったり、余力がない状態で走り出してしまうと、徐々に軸がぶれていく。
その結果、押し出されるのは「自分の時間」や「家族との関係」や「長く続けるための体力」だったりする。 気づけば、最初に一番大事にしたかったものが、どこかへ流れてしまっている。
だからこそ、キャパシティーには限りがあると意識しておくことが大切だ。 何かを始めるということは、何かを押し出すこと。 自分の器の容量を知り、入れるものを慎重に選ぶことが、農業という長期戦を続けるうえで不可欠なのだ。
2.「全部大事」に見える罠
農家は、何かを選ぶときに「全部大事」に見えることが多い。 ・売上アップも大事 ・地域との関係も大事 ・SNSでの発信も大事 ・農機の整備も大事 ・休息も大事
でも、すべてを「大事」と思っている時点で、すでに思考が鈍っている。 本当に重要なことは、全部じゃない。ごく一部だ。
たとえば、うちの白ネギなら「とにかく品質」──それを徹底することが最も価値を生む。 品質が高ければ価格競争にも巻き込まれにくくなるし、取引先からの信頼も厚くなる。お客様から「やっぱりここのネギは違うね」と言われる瞬間に、自分たちの努力が報われる実感がある。
逆に、そこがブレたら、売上も信頼も全部が崩れる。 ネギの見た目や味にムラが出れば、クレームや返品が出るリスクも高まる。 どんなに販路を広げても、品質が不安定ではリピートにはつながらない。 品質こそが最大の営業力であり、信頼資産そのものだ。
だから、「最優先」はここに絞ると決めた。 栽培管理の基準も、作業工程も、すべては“品質を守る”という視点で設計している。 無理に作付面積を増やさず、作業の手を広げすぎず、手が届く範囲で最高のものを届ける。それが我が農園の戦略だ。
他のことは「時間が余ったらやる」くらいの感覚にしている。 イベント出展やSNS運用、補助金の申請といった外部的な活動も大事だが、白ネギの品質を守ることに直接つながらないなら、優先順位は下げている。 「やれること」ではなく「やるべきこと」に集中する。それが、ブレない農業経営を支える柱になっている。
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断る力は、生き残る力
だいぶ前の話だが、「枝豆やってくれない?」と頼まれたことがある。面白そうな提案だったし、人の役に立てるならと一瞬前向きに考えたが、冷静に状況を見直してみた。
その時期は白ネギの管理が最も忙しいピークと重なっており、人員的にも時間的にも余裕はなかった。さらに、枝豆は除草や水管理など細かな作業も必要で、管理が煩雑になる。最終的には、「今回はごめんなさい」と丁重にお断りした。
そのとき相手は少し残念そうだったが、きちんと事情を説明すると理解してくれた。そして結果的に、その判断が本業を守ることにつながった。あのとき無理をして受けていたら、ネギの品質や収穫作業に支障が出ていたかもしれない。
断ることは「相手を拒絶すること」ではない。 むしろ、「自分を大事にすること」であり、農業経営を持続させるための防衛策でもある。 それは相手との信頼関係を壊すことではなく、むしろ誠実さをもって伝えれば、信頼を守る手段にもなる。
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余白のない農家は、壊れる
農業は天候次第。予測不能なトラブルも多い。 台風が来れば作物が倒れるし、長雨が続けば病害が広がる。猛暑が続けば作業効率は落ち、人も疲弊する。こうした自然由来の変動は、どんなに準備していても完全には避けられない。
にもかかわらず、ギリギリのスケジュールで詰め込んでいたら、何かひとつ歯車が狂っただけで、全部崩壊する。 1日の流れがズレるだけで、翌日の作業が押し、仕上がりが乱れ、信頼を失う可能性すらある。
だから今は、「余白」を意識的につくっている。 ・自分自身の1日のスケジュールは80%で止めることで、突発対応の時間を残しているし、人と会う予定がある日は出来るだけ農作業はしないようにしている ・余裕を見た人員配置をすることで、欠勤や急な作業変更にも対応できる ・雨の日にやることをあらかじめ決めておくことで、無駄な待機時間を減らす ・土曜、日曜は従業員は休みだし、自分自身も「作業をしない日」として、肉体的・精神的なリセットの時間にしている
これがあるだけで、気持ちに余裕が生まれ、スタッフのミスも減り、結果的にパフォーマンスが上がる。 作業に追われるのではなく、作業をコントロールできる感覚が戻ってきた。
余白は、贅沢ではない。経営に必要な「戦略」なのだ。 むしろ、意識して作った余白が、長期的に見れば最も大きな成果を生み出す投資になると感じている。
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「何をやらないか」で、人生の質は決まる
農業は、やればやるほど「欲」が出てくる仕事でもある。 もっと売りたい。もっとスペックの高い機械を導入したい。もっと人を雇いたい。 さらに言えば、新しい栽培法にも挑戦したいし、新規作物の導入や加工品の開発にも興味が出てくる。 農業は自由度が高い仕事だけに、やれることが多すぎて、どこまでも欲が出てきてしまう。
でも、やらないことを決めないと、農業はどんどん重くなっていく。 やることが増えるほどに、一つひとつの質が下がり、責任も増し、気づけば本来の目的を見失っていることもある。 社員も、自分自身もつぶれてしまう。 心の余裕がなくなり、日々の作業が義務になってしまうと、農業の面白さややりがいは一気に色あせてしまうのだ。
だから僕は、定期的に「やらないこと」を見直している。
・SNSは発信に集中し、返信にはこだわらない。いいねの数やコメントに一喜一憂しない ・地域の役回りは必要最低限。感謝の気持ちは持ちながらも、すべての行事には関わらない ・農機の購入は「今の作業効率が本当に限界」になってから。欲しいから買うのではなく、必要に迫られたときに投資する ・取材は、自分の理念とズレていたら断る。どれだけ有名媒体でも、違和感があれば受けない
「やらないこと」を明確にするほど、「やるべきこと」が研ぎ澄まされていく。 決めることで迷いがなくなり、選択が速くなり、集中力が高まる。 それは結果的に、農業の質と人生の充実度を同時に高める手段になる。
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エッセンシャル農家は、しなやかで強い
エッセンシャル思考は、農業にこそ必要な考え方だと思う。
なぜなら、農業は「外的要因に左右されやすい」不安定な仕事だからこそ、自分の中の軸=何をやるか/やらないかの基準がないと、ブレて潰れてしまうからだ。
天候、害虫、政策、価格変動、地域との関係など、自分ではコントロールできない要素が多いのが農業の特徴だ。そうした不確実な要素の中で生きていくためには、せめて「自分が何に集中するか」だけは、明確にしておく必要がある。
僕自身、いろいろなことに手を出しては後悔した経験がある。売上を追いかけるあまり、無理な販路を広げたことで労力が分散し、収穫品質が落ちたこともある。誰かの期待に応えようとして、生活のペースが崩れたこともある。
就農してから私が栽培した作物を挙げてみよう。
白葱、青ネギ、キャベツ、カボチャ、カブ、二十日大根、パクチー、空心菜、ブルーベリー、さつま芋、枝豆だ。こんなに手を出したのか。
ブルーベリーに至っては、苗木の購入から潅水設備の設置等で150万程の先行投資をした。だが自分たちに合っていないという判断に至り、躊躇なく栽培をやめた。
「本当に大切なものは何か?」 「それ以外のものを、どれだけ手放せるか?」
この2つの問いを持ち続けることこそが、エッセンシャル思考の真髄だと感じている。
それが、しなやかに、かつ強く農業を続けていくためのコツだと、今は思っている。 ブレずに、自分の農業の軸を守り続けることで、ようやく“自分のペースで成果を出す”という感覚が得られるようになってきた。
おわりに──「より少なく、しかしより良く」
エッセンシャル思考のキーワードは、「より少なく、しかしより良く(Less but Better)」。
これは単なる効率化の手法ではない。むしろ、何を捨て、何に命を込めるかという、哲学に近い生き方の姿勢だ。
農業に置き換えれば、 「たくさんのことを中途半端にやる」よりも、 「本当に大事なことを、丁寧にやる」方が、 結果として利益も信頼も、未来もついてくる。
僕自身、手を広げすぎて疲弊した時期があった。 けれど、自分の強みや情熱、農園としての価値を明確にしてからは、迷わずに選べるようになった。 「全部やる」は、自分の意思で選んでいるようでいて、実は他人や環境に振り回されている状態だ。 「選んでやる」は、捨てる痛みと向き合いながらも、主導権を取り戻す行為だ。
農業も、人生も、まずやらないことを決めよう。
闇雲に詰め込めば、押し出してはいけない物が押し出されるかもしれない。 押し出される前に、自分で選ぼう。
何を入れ、何を入れないか。
それは、農家にとっての「生き方の選択」そのものなのだから。 大切なものを大切にするために、他の多くを手放す勇気を持とう。
その先に、自分らしく、長く続けられる農業がきっとあるはずだ。
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