繋ぐ農業とアドラー心理学

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農業ブログ

繋ぐ農業とアドラー心理学

2025/05/24

原因論と目的論の間で

農業をしていると、畑に立ちながら、過去と未来を結ぶ大きな流れを感じることがある。私たちが今こうして農業に打ち込めるのは、戦争で命を落とした人たちや、高度経済成長期に身を粉にして働いた人たちがいてくれたおかげだ。そのおかげで、私たちの暮らしはある。そのことを考えると、毎日の農作業の一つひとつが、「繋ぐ」という使命の一部なんだと、改めて感じる。

私は、この営みを「繋ぐ農業」と呼びたい。単に作物を作るだけじゃなく、先人たちが繋いできた土地の歴史と、これから生まれる未来を結ぶ仕事。そんな思いを込めて、私は日々畑に向き合っている。

そして最近、アドラー心理学を学ぶ中で、「繋ぐ農業」と私自身の考え方が深く結びついていることに気づいた。アドラー心理学の核にある「原因論」と「目的論」という視点。これが、農業という仕事の本質にも重なる気がしている。

 

原因論と目的論:過去に縛られず、未来を見据える

アドラー心理学では、人が前に進めなくなるのは「原因論」に囚われるからだと言われる。「自分がこうなったのは親のせいだ」「時代が悪いから仕方ない」――そんな風に、何かのせいにしていると、人は現状を受け入れてしまう。確かに原因論は安心感をくれるけど、そこに留まれば、自分の意志で動く力を失ってしまう。

一方で、アドラーは「人は目的で動く」と説く。「これからどうしたいか」「何を目指すか」が、人を前に進める。原因ではなく、目的に焦点を当てることで、人生は変わる。この考え方は、農業を続けていく上でも、すごく大事な視点だと感じている。

 

過去への感謝と、未来への責任

私たちが今耕しているこの土地は、先人たちの命がけの努力で守られてきたものだ。戦争で荒廃した畑を耕し直した人たち。貧しさの中で、家族を食べさせようと必死に鍬を握り続けた人たち。その人たちのおかげで、今の農地がある。

畑に立つと、そんな人たちの声が聞こえる気がする。「お前も頑張れよ」って言われているような気がして、背筋が伸びる。でも同時に、アドラー心理学を通して思うのは――過去は大事だけど、それだけに縛られたくはないということだ。

「先人たちがやってきたから自分もやらなきゃ」というのは、原因論に近い。本当はもっと大事なのは、「じゃあ自分はこれから何を繋ぎたいのか」という問いだ。「誰かが繋いでくれたバトンを、どうやって次の世代に渡すか」。それを考えることこそ、目的論の生き方だと思う。

 

課題の分離が教えてくれたこと

農業をやっていると、本当にいろんな「思い通りにならないこと」に出くわす。天候は自分の力じゃどうにもできないし、病害虫の被害に泣くことだってある。市場価格が下がって、苦しい思いをすることもある。そんな時、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方に、ずいぶん助けられてきた。

「お客さんが野菜を買うかどうか」はお客さんの選択。「市場価格がどうなるか」は需要と供給のバランスで決まる。「天気がどうなるか」は自然の摂理。自分ができるのは「いかにいい野菜を育てるか」「どこにどうやって販売するか」。自分の課題と、他人の課題を分けるだけで、肩の荷がすっと軽くなる。

つい「全部自分のせいだ」と思い込んでしまうけれど、本当は違う。自分にできることに集中する。それが、農業を続けるための心の整え方だと思う。

 

かっこいい農業を未来に繋ぐ

私は、農業はかっこいい仕事だと思っている。泥にまみれて、力を尽くして作物を育てる姿には、人間らしい美しさがある。「誰かの役に立ちたい」という気持ちが、農業をかっこよくするんだと思う。

アドラー心理学では「他者貢献」が幸せの源だと説く。農業は、誰かの食卓に笑顔を届ける仕事だ。お客さんから「美味しかったよ」と言われると、心の奥から温かいものが湧いてくる。その瞬間、「ああ、俺の仕事は誰かを支えているんだな」と実感できる。

そしてその貢献の連なりが、子どもたちに「農業って夢のある仕事だな」と思わせる。それが僕の目的であり、繋ぐ農業の核でもある。

 

原因論を超えて、目的論で生きる

農業をやる理由なんて、いくらでも原因論で語れる。「家が農家だったから」「都会の暮らしが合わなかったから」「他に選択肢がなかったから」。でも、本当に大事なのは「だからどうしたいのか」だ。私は、農業を「過去の因縁」ではなく「未来への希望」としてやりたい。自然と向き合って、試行錯誤して、作物を育てる。そこに込められるのは、他の誰でもない「自分の意志」だ。

原因論は、時に自分を慰めてくれる。でも、前に進む力をくれるのは目的論だ。農業は、自分の目的を形にできる仕事だと信じている。

 

繋ぐ農業は、過去と未来の架け橋

農業は、過去の人たちが繋いできた希望のリレーだ。でもそのバトンは「お前もやれ」という重荷じゃない。「ここまで繋いできた。あとはお前に任せた」という希望のバトンだと思う。

だから僕は、畑に立って考える。「自分は何を繋ぐのか」「この畑をどんな姿で次の世代に残したいのか」。

「農業って面白そうだな」と思ってくれたら、それだけで意味がある。私の背中を見て、「農業ってかっこいいな」と感じてくれたら、それだけで希望がある。

 

最後に:大地に想いを刻む

アドラー心理学の言葉を借りれば、農業は「他者貢献」の究極の形だ。誰かの食卓に笑顔を届ける仕事。未来の世代に、命のリズムを残す仕事。その喜びがあるから、どんなに大変でもやめられない。

そして僕自身も、過去の誰かが繋いでくれた農業を、未来に託す役割を背負いながら、前を向いていきたい。原因論ではなく、目的論で生きる。それが、繋ぐ農業の根っこにある覚悟だ。

 

そのために、僕は今日もまた、大地に想いを刻む。

失敗しても、また立ち上がる。

 

それが「繋ぐ農業」だ。

 

もしあなたが仕事や暮らしの中で迷ったり悩んだりしているなら、「何があったか」よりも「これからどうしたいか」を自分に問いかけてみてほしい。そして「誰かの役に立っている」という確かな手応えを探してほしい。それがきっと、あなたの道を強くしてくれると信じているから。

これからも、繋いでいこう。未来を。

 

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